海峡側から見たドルマバプチェ宮殿
海峡側から見たドルマバプチェ宮殿

 

 

 

 

 

オイルヒーターと電話
オイルヒーターと電話

 

 

 

 

 

 

帝位の間の玉座
帝位の間の玉座

 

◎ドルマバプチェ宮殿

 今日はトルコ観光の最終日。奥さんは、前日からドルマバプチェ宮殿に行くことを主張していた。私は考古学博物館に行きたかったが、「時間がない!」 の一言で却下される。(涙)

 ドルマバプチェ宮殿は、トルコ・ルネサンス様式の建築で、19世紀半ばの完成になり、五人ほどスルタンがここに居住した。ヨーロッパ、特にフランスのロココ建築の影響が大きい。ここは、泊まっているホテルの近くにあり、窓から宮殿のシンボルたる時計塔が見えるのだが、何せ道が入り組んでおり、しかも坂の町であるイスタンブール。直線距離は近くても、たどり着くのは結構面倒なのだ。

 と言うわけで、朝もいつもと変わらないくらい早起き。一応チェックアウトは午後一時まで大丈夫とのことなので、最終的な片づけはその時にすることにして、いざ出陣。

 一応、道順はチェックしてあったが、実際に歩くと結構迷う。たまたま前を日本人のバックパッカーらしき男の人が歩いており、通りすがりの人に道を聞いている。「これは、ドルマバプチェに行くに決まっている!」 と合点し、夫婦は即席ストーカーに早変わり。我々の方が歩みが早いので、途中で抜かしてしまった。一応「ドルマバプチェに行くんですよね?」 と聞いたけど。あっちはびっくりしていたようだ。近道に公園を横切る。公園でおじさん達が、お仕事をしている。「ドルマバプチェ、あっちね。」 と指さしてくれた。取り敢えず手を挙げて謝意を示したが、他の方法があったのだろうとちょっと後悔。まだ昨日のグランバザールでのかたくなさを引きずっている。

 そんなこんなで、到着。切符売り場の前に同行者の二人がいるのを発見。何でも彼女たちはタクシーで来たそうな。我々はお金がないのと、言葉の問題で歩いてきた。会話って結局根性なんかなあ。

 入場券を買う。「何! カメラ持ち込み料込みで、二人併せて9,000,000TLかい!」 むちゃくちゃ高いぞ! どういうことや! ササ(一部意味不明 (^_^;) )他の博物館は、大体500.000TL以下なのに比べて、ここはやたら高かった。しかも同行者は持ち合わせが無く、付設の両替所も十時(今は九時)に空くと言うことなので、皆で考える。たまたまVISAが使えるキャッシャーが有ったので、そこでリラを引き出して何とかなった。イスタンブールはやはり都会だった。

 さて、中に入る。セキュリティーチェックはここも厳しい、トプカプ宮殿以上じゃないかなあ。しかも靴にはビニールのカバーをかぶせる。床を汚さない・傷つけないような配慮らしいけど、ずいぶんご大層なことをやる。

 確かに中は天井が高くて豪華絢爛だ。あれだけ厳重な警戒をするのにもそれなりの理由がある。フラッシュは禁止だが、当然高解像度のフィルムはここでも装填済み。更に手ぶれももれなくついてくるのが御愛敬だが・・・ 中央の階段を上る。手すりの支柱はガラス細工。専属ガイドの説明では「ベネチアンガラス」 ということだ。う〜ん勿体ない。その他これも有名なバカラのガラス細工もふんだんに使われている。

 シャンデリアはでかいし、こちらが清水の舞台から飛び降りた気分で買った、ヘレケの絨毯もそこら中にある(さすがに見学者が歩く部分は、普通の絨毯だった。)。夫婦揃って、右を見ては「ご〜か!」 左を見ては「けんら〜ん!」 状態。確かにゴージャスなのだが、頽廃の気分というか、なんかトプカプ宮殿で見られた大国の余裕というものが感じられない。まあ、この当時はオスマン帝国が領土をバラバラにされて、半植民地化していく過程にあったのだから、本来ならこんなもん作っているはずじゃあないんだが、何処の国でもハコ物を作るのに時を選ばないと言うのは、一緒なのかもしれない。

 装飾も綺麗なんだが、さすがイスラム国家。西洋の宮殿にありがちな、宗教がらみの人物装飾(天国や天使、キリスト教絵画)等は全くなく、イスラム伝統の模様が部屋を飾る。途中トルコ風の西洋絵画があった。歴史的名場面を描いた、いわゆる歴史絵画に属するやつだが、世界史の資料集によく載っている、「金角湾に舟を運び入れるメフメト二世」 の絵があった。こんな所にさりげなくあるとは、危うく見逃すところだった。「トルコ紀行」 のタイトルバックに使ってみた。しっかりピンぼけだけど、加工すれば十分使える。(笑)

 他にも、ここに住んでいたスルタンの肖像画や写真なども展示されていたが、昔の遊牧君主の面影など、すっかりどっかへ行ってしまい、ギリシア系・スラブ系としか言えない顔をしている。ハーレムの女性に比較的ヨーロッパ系が多かったことが影響しているのだろう。ヒゲがなければ、絶対トルコ人とは気が付くまい。

 その後、ハーレムをちょろっと見て、最後にばかでかい式典用の大広間(帝位の間)に通されておしまい。アタテュルクの亡くなった部屋など、見たいところはいっぱいあったが、観光客風情には見せられないのか? 保存に金がかかるのは承知だが、この値段でこれだけしか見せてくれないのは、ちょっと「トルコ人もケチね!」 といってやりたい位だ。  外に出る。光がまぶしい。丁度目の前にボスポラス海峡がある。この宮殿は、実は門がボスポラス海峡に面していて、舟で乗り付けて宮殿に入ることが可能だ。外国の賓客にはそうだったらしい。我々の出口は、実は入り口だったわけだ。現在でも、ここは迎賓館として使われることもあるが、その時はどうやって入るのか不明。だれか偉くなってトルコに行ってみてくれ。

 もともと「ドルマバプチェ」 は、「埋め立てられた場所」 を意味する。ここはその昔、メフメト二世がコンスタンティノープルを攻略した際、舟を山越えして金角湾に移動させるという奇手を使ったとき、ここから舟を陸揚げしたという由緒正しき場所なのである(その後、歴代スルタンの庭園として使われ、ボスポラス海峡に向かって埋め立てをして庭園の拡張を行ったため、かく名付けられたそうな。)。我々がさっき下ってきた丘を、舟を担いで(引っ張って)登ったと思うと、兵士諸君の苦労が忍ばれる。


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