中国史コラム1997 7-8月分


1998 4-5月分

吉川忠夫『劉裕』中央公論社『世界の歴史』その3京都の中国関連博物館

中国史コラム目次


1998/05/05

◎京都の中国関連博物館

 連日書いているように見えますが、十二時を挟んで前後一時間足らずの内に書いているだけです。(笑)

 京都は昔から中国学が盛んで、当然それ関連の博物館も幾つか在ります。今回は週刊朝日百科『日本の国宝』六三巻に載っていた二館を紹介しましょう。

 先ず初めは泉屋博古館。これは南禅寺の北を行ったところ、銀閣寺からは哲学の道をずーっと南に下った果ての辺りにあります。この博物館は住友財閥のコレクションを基調に構成されています。館名の「泉屋」は住友の屋号、「博古」は北宋の十二世紀前半の宣和年間に編纂された青銅器の図録『宣和博古図』に因んで、西園寺公望により命名されたそうです。

 入り口をくぐると、広々と言うよりガランとした(観覧者が少ないからでしょうけど)玄関ホールがあります。ロビー奥には銅鼓とそれを鳴らしたときの音が出てくる装置がセットになった収まったガラスケースがあります。面白いのが本館の構図で、螺旋状に誘導路が出来ています。一方通行の観覧方式というのは博物館の形式としては、結構古典的な部類に属すと学芸員の授業で倣いましたが、部屋から部屋へ移るのではなく、螺旋状にやるか! と初めて行ったときに驚かされた思いでがあります。この本館は昭和45年(私の生まれた年だ・・・)の完成年に、建築業協会賞をもらったそうです。

 本館に展示されている物は、青銅器類が中心です。ここのコレクションは世界屈指のレベルと言ってよいでしょう。明治・大正時代に住友家当主が財力に物を言わせて買い集めた結果です。こういってしまうと、なんだかひどい物の言い方ですが、おかげで私は市バス代+入館料で世界屈指の青銅器が見られるのですから、有り難く思っています。青銅器と言っても殷代のが中心だったと記憶していますので、金文を見たい方にはちょっと物足りないかもしれません(そういう方は神戸の白鶴美術館か、東京の書道博物館に行きましょう。)。ただ造形的には殷代青銅器の方が、遙かにすばらしいと思っていますので、見飽きることはありません。

 ※昔授業の時、先生が「コレクションは陶磁器程度ではいかん! 玉器と青銅器まで手を染めてこそ、一流の収集家だ! 」といっていました。

 新館は、明清書画がメインです。ここのコレクションは近年になって住友家から寄付されたものが中心ですが、見事な名品が揃っています。私は青銅器が主目的なので余り覚えていません。上海博物館行っても、青銅器の処だけ見て帰ってくるバカもんですから・・・。

 つづいて、藤井有鄰館です。ここは上記泉屋博古館よりも更にマイナーです。場所は平安神宮のすぐ南という絶好のロケーションに在りながら、一般には殆ど知られていません。あの辺りに行ったことがある方なら、京都市勧業館(今では「都メッセ」と言うらしいですけど)と琵琶湖疏水を挟んだ向かいにある、中華料理店風の楼が載った古い建物(なんでも乾隆年間製の瓦だそうです。)に覚えがある方もいるかもしれません。そう、これが藤井有鄰館です。この博物館は藤井善助という人の個人コレクションを航海する目的で、大正十五年に開館されました。

 入り口が昔の玄関ではなく、横から入るので少々判りづらいですが、中にはいるとあたかもそこは大正期の世界そのままに、乱雑と言っていい状態で、お宝がならんでいます。気が付かないと「へっ? 」という見落としがごろごろしています。よく科挙関連で採り上げられる史料に、「カンニングペーパー代わりの下着」が図版などで見かけますが、あれはここの収蔵です。それも3Fの隅に転がっているので、注意してみないと気が付きません。他にも教科書で見かけるような史料がなにげにころがっていたり、記帳台が明代の家具だったり、収蔵品に結構気軽に近づけてしまったりと、他の博物館に比べて、色々な面で楽しめます。あんまり雑然と並んでいるので、保存に関してこっちが心配になるほどです。私の様な業界ではここは有名ですが、一般的には正に穴場ですね。

 両館とも開館時期が古く、それなりに歴史がありますので、偽物も結構あるそうです。これは当時のことですから、まだ鑑定がしっかりしていないとか、有名な人が偽物を「うん! これは本物だ!」といって売っていた事もあるようなので、しょうがないことです。当時の風潮を示すために敢えて偽物も展示する事があるようなので、自分で当ててみたり、偽造の技術とか当時の風潮に思いを馳せるのもいいかもしれません。偽物(レプリカとして展示してあるのは別ですよ。)を堂々と本物だ! といって展示するよりも遙かにましです。

 注意していただきたいのが、両館とも年中常設展示しているわけではありません。特に藤井有鄰館は注意してください。あそこは年間15回しか開館されません。

 ●泉屋博古館

  交 通  :京都市バス「宮の前町」「東天王町」下車
  開館時間:3〜6月 9〜11月 午前10時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)

 ●藤井有鄰館

  交 通 :京都市バス「京都会館美術館前」下車
  開館時間:毎月第1・3日曜日開館(1・8月は休館) 午後12時〜3時まで。
 

補遺:

 

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1998/05/04

◎中央公論社『世界の歴史』その3

 連休中なのに更新しないのもなんですので(最近こんないいわけばっかりですね・・・)、月末に読んだ本のことを少し。

 今回は先月出た中央公論社『世界の歴史』シリーズの十二巻『明清と李朝の時代』について紹介をしましょう。このシリーズは以前二・三度紹介していますが、何れも豊富な写真と最新の知見を駆使した、良質な概説書に仕上がっています。一般向け以外にもちょっと分野の異なる所を見たい場合にも、重宝します。巻末に文献目録があるのも親切ですね。
 個別の内容について紹介する前に、この本の大きな特徴として、明清と李朝を別個に章立てして扱わず、混合して記すところにあります。東アジア的な視点からこの地域を代表する国家について書こうとしたのかもしれませんが、私には今一編集のポイントがつかめませんでした。李朝の歴史を中国と対応させる事には在る程度成功していますが、どうもポイントがぼやけているような気がしてなりません。文章自体もどこか中途半端というか、書ききれてない点があるような印象を持ちました。

 この原因を色々想像してますと、やっぱり分量に問題があるでしょうか。明清はそれこそ南北朝〜明治以後の時間に跨ります。日本史の本を見れば解りますが、これだけの時間に渉って一冊本にすると、かなりポイントを絞るか、大雑ぱな部分だけを書くしか分量的には手がありません。しかも、中国・朝鮮という二地域について書こうというのですからなおさらでしょう。「米仏の革命なんか、たかが数十年で一冊文もらっているのに! 」というのは、贔屓の引き倒しというものですけどね。確かに両国の革命というのは世界史上の大事件と言えますが、それでも西洋偏重の一般的傾向が窺える一例でしょう。このシリーズは昔に比べて採り上げる時代も地域もかなり幅広くなった分、編集の方針でかなり分量に差異が出ています。現代に繋がる視点では、ヨーロッパ・アメリカ関連の分量が増えるのはある意味当然でしょうけど、それでも東洋学をかじっている身としては、「日本人に与えた影響を考えると、明清辺りももう少し分量をあげたらどうなのかなあ。 」と無い物ねだりをしてしまいます。

 ちょっと話がずれてしまいましたが、分量が限られており、本の性格が「概説的立場」に拘束されている以上、「何を書くか」のポイントが重要になります。私の判断する限り、この本の中国側のキーワードは「国際関係」、朝鮮側が「両班」だと感じました。朝鮮の方は全くの素人なので、いろいろと興味深く読めました。昔大学院に入り立ての時に、朝鮮の法律集である『経国大典』を読まされましたが、その時のことを思い出しながら読んでいました。専門の方から見れば突っ込みどころも色々あるのでしょうが、李朝政府や地方社会上層部を構成する「両班」をキーワードに、李朝社会を書く試みとしてそれなりの一貫性を持っています。

 それに対して、明清の方はと言えば、なんだか書ききれていないと言うか、中途半端だなあというのが感想です。去年一昨年と、倭寇に関する中国人の著作をずーっと読んでいた事や、近年明初の話を書いた本が幾つか出版されたり、バイトで明末清初に関する本の索引を作らされた経験からそう思いました。「もっとかきたいところはこんなに在るんだ〜! 」は作者の心の叫びかもしれませんが、万暦辺りの明末官界から南明政権への話とか面白いのになあ。「国際関係」というキーワードからは落っこちてしまう項目でしょうけど。国際関係にスペースを割きつつ、苦労して政治史的概説を組み込んでいるので、私の様な政治史が好きな人間には、ちょっと経済史肌合いが合わないのかもしれません。それでも銀を巡る国際関係とかは面白かったです。

 肯定的なフォローをしますと、「国際関係」をキーワードにした捉え方は、最近の概説書とかの流行なんでそう珍しくもありませんが、一般書のレベルできちんと説明してあるのは、大事なことだと思います。何で外モンゴルが独立したのか? チベットで独立運動が行われている遠因は何か? を考える際、清朝がこれらの国に対し、中華皇帝ではなく、ハーンとして対応していたこと、中華民国が成立した際、清朝の後継国家としてこの辺りのことをあんまり深く考えていなかった事が挙げられると思います。革命党の人はその辺り事を知らなかったか、意識的に無視したのかもしれません。

 ※早い話、個人的に軍事史とか政治史が好きなんで、それが概説書レベルであんまり触れられてないと消化不良になる! ということでした。政治史の概説は人物伝とか、他の本を読みましょう。昔学生の時に読んだ魏源の『聖武記』は面白かったなあ。清朝の概説を書いた部分があるんですが、そこを読みながら先生が黒板に満州文字を書いたり、『満洲実録』を資料として見ながら説明を聞いていたのもいい思い出です。 

題名 『明清と李朝の時代』(世界の歴史12)
著者 岸本美緒 宮嶋博史
ISBN 4-12-403412-1
発行年 1998年
発行所 中央公論社

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1998/04/23

◎吉川忠夫『劉裕』

 年が明けてから私事で忙しく、ずいぶん更新をさぼっていました。「コラムはまだかいな? 」と言われつつ、狼少年の如くやるぞやるぞとお返事をしていましたが、今までさぼっていました。その間にも、ぼちぼち本は読んでいましたので、その話から始めようかと思います。

 表題の本は、以前中国史MLで「読みたいよ〜! 」と書き込んでおられた方がいましたので、どんな本かいな? と図書館で先日見かけた折りに借りてきました。この本は元々人物往来社の「中国人物叢書」の一として、今から丁度三十年前に出ています。著者の吉川先生は、確か吉川幸次郎先生の御子息だったかと思います。吉川忠夫先生には、一度だけお会いしたことがありますが、気さくな方でしたよ。それよりもやたらと広い研究室の方が印象に残っていますが・・・

 内容は表題の如く、南朝宋の初代皇帝劉裕の一代記です。劉裕は桓玄簒奪の際、それを鎮圧することで東晋政界を牛耳るようになり、中原の洛陽・長安の一時的な回復なる軍事的成功等を背景として、東晋から禅譲させることに成功しました。彼自身は、それから程なく死んでしまいますので、人生の大半は晋朝にあったと言えます。当時は貴族制全盛の時期でした。先に挙げた桓玄も名門では無いにしろ、一応荊州を地盤とする貴族です。他には王氏とか謝氏が有名ですね。三国時代に劉備に引導を渡した陸遜の一族陸氏も、江南土着の豪族として晋政界に一定の地位を占めていました。

 その中で劉裕は殆ど裸一貫からのし上がっています。王朝末期の秩序弛緩が背景にあるといえますが、その中で門閥的地盤のない彼が台頭し得たのは、当然劉裕個人の資質に預かるところが大きいでしょう。この本はそれを流麗な文章で書き記しています。これを読むと、劉裕はマイナーながら、裸一貫から王朝を創設する人物として、並々ならぬ個人的資質を兼ね備えた有能な人物と言うことが判るでしょう。武人政治家の典型例とも言えるかもしれません。

 歴史家の文章は往々にして難い! 学術的だ! 等と言われますが、この本は読みやすい文体で書かれており、余りつっかえるところはありません。少し学術的・堅苦しい文章が読みたい方には物足りないかもしれませんが、歴史家が書く個人の伝記としては、よい部類に入ると思います。以前挙げた礪波護先生の『馮道』は、丹念に歴史事実を追いながら書くタイプの伝記です。あれはあれですばらしい著作ですが、吉川先生のこれは、それとはタイプが異なっていますね。おそらく一般向け書物と言うことを、かなり念頭に置いて書いているのではないでしょうか。

 さらっと読めて、尚かつ劉裕の伝記としてもきちんと体裁を整えているのは、文章の書き方が優れているからだと言えるでしょう。私もこんな文章を書いてみたいもんです。

題名 劉裕 江南の英雄 宋の武帝
著者 吉川忠夫
ISBN 4-12-201671-1
発行年 1989年
発行所 中央公論社(よ19-1)

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